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どう祈ればいいか アントニー・デ・メロ

昨日、祈りの力に衝撃を受ける 

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ことが起こりました。

祈りの重要性を感じてきたのはここ何年かですが
どのように祈ればいいのだろうということも感じていました。
また祈っているのに何も変わっていないような気がして
どうして?と思う事もありました。
それが神様の御心だとは思っても・・・

アントニー・デ・メロ著の 「何を、どう祈ればいいか
この本が実家にあり、まだ読んだことがなかったので
この夏読みました。
非常に心打たれました。

以下アントニー デ メロ 師から引用です

・・・あなたは自分の人生の歩みの中でいくつの奇跡を
体験されたであろうか?

それが皆無であれば、一度も願ったことがないのだから
当然の結果である。
あなたが神に大いなる期待をかけるのであれば、神は
あなたをなにもせずに放置することは決してない

神は待たせるかもしれない 
神はすぐさまやってこられないかもしれない
あるいは突如としてイエスの表現を借りれば、
夜更けの強盗のように思いかけず来られるかもしれない。

だがともかく、神はきっと来て下さると期待し続けるなら
神は必ず来て下さる・・・


祈り続けても状況が変わらない時疲れることがある
そんな時にも アントニー デ メロ 師はこう記している、

聖霊は人の側のどのような努力によっても
産み出されるものではない・・・聖霊は人の努力の対価
とはなりえない。聖霊を受けるためにこちらでできることが
あるかと言えば、絶無である。

聖霊は父なる神のまさしく無償の賜物だからである。

・・・私たちにできるのは聖霊が来られるのを待つことのみである。
そしてまた今の世界にあって私たちの惨めな人間性が最も難しい
と感じているのはこの待つことに他ならない・・・

だが待たねばならない。だから待つ、待つ、待つのだ。

いくら待っても何事も起こらない。
(あるいは私たちのうすぼんやりとした
霊的視力では何もとらえられなかったのかもしれない)・・・

だが聖霊は待つものにのみ与えられる。 

来る日も来る日も神とその御言葉に祈りを
持ってその心をさらし続ける者に

生産性重視の目には全くの時間の浪費としか映らないものに
何百時間をも投資して惜しいと思わないものに
聖霊は与えられる・・・


私はあることで祈り続けていました
それはもう何年にもなります、祈り続けている間に
何度もその祈りが打ち壊されたと思うようなことが
起りました。
「こんなに祈っているのにどうして…?いや、
それでも神様は働いて下さっているんだ」と
アントニーデメロ師の言葉を思い出しながら
祈り続けました。

昨日、その祈りが、もう不可能ではないのか?
と思っていたその事が・・・まさに突如として
何の前触れもなく与えられました。

証しとはこういうことだと、私はその与えられたことに
涙せずにはいられませんでした。

それはほんの小さなことですが私には奇跡
のように思えるのです。

明けない夜はない・・・
神様と共にいればどんな状況でも希望に繋がる
そんなことを祈りというもので教えられました(*^_^*)


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